N・I さんの経過と現状

H19.6(母記)

娘が事故に遭ったのは、平成10年4月8日の雨が降る午後7時過ぎ、当時22歳になったばかりでした。国道一号線の小さな交差点での事故。対向車は4WDで、娘は助手席でまともに衝撃を受けたのです。相手がトラックならば、娘はこの世に存在していない事でしょう。意識不明のまま病院へ搬送され、即集中治療室へ。

 翌日になっても意識は戻らず、頭の圧が上昇するのを抑えるために、「低体温療法」へと治療が切り替え、2週間薬で眠らせ、頭・鼻・手・足・いろんな所にチューブが入っていました。毎日毎日が無我夢中で悲しんでいる暇もなく、病院と家との往復でした。下の息子が大学受験の年でしたが、何一つ話し合う事も出来ず、辛い思いもさせてしまいました。

 一ヶ月近く集中治療室に・・・。脳を刺激する為にCDを聴かせたり、ベットサイドのリハビリ治療が行われました。病名は急性外傷性くも膜下出血・びまん性軸策損傷・脳挫傷でした。意識が戻らないまま一般病棟に移され、脳への血流が悪い状態が続けば、アメリカの医療機関で行われている電気ショック治療法を取り入れる事になるかもと言われましたが、幸い血流の値が少しずつ良くなってきたためこの治療はせずに済みました。入院生活も4ヶ月に入る頃、ようやく意識が回復してきたのですが、気管切開をした為に話す事が出来ませんでした。

 最後の一ヶ月は、どんどん回復し、車椅子での移動・自分の手で食事・歩行訓練・トイレの使用など介助がすこしあればできるようになり、また研修の学生さん達が交代で4人ほど娘の院内での生活をサポートして頂きました。少し身体を休める事ができるようになり、精神的にもほんの少しですが楽をさせてもらいました。

 そんなある日の事、突然娘の性格が変わった事に気がつきました。今までは自分で思ってもなかなか口に出して言えなかったのに、言うようになったのです。高次脳に現れる、性格の変化です。それが障害だなんて、思ってもみませんでした。その頃の医学では、まだ少しの人しか知られていなかった事です。

 退院が近づく頃から、頭痛と微熱に悩まされる事に。(事故後4~5年近く続きました)。退院時は当然車椅子でした。(片マヒが残ってしまいました)
退院後のリハビリをどうするか、いろいろな所をさがしましたが、最終的には入院していた病院へ9ヶ月程通院しました。それも終わりがあり、その後どこへ行けばいいか途方にくれていた頃、新聞で「みずほ」を知ったのです。即入会しました。

 それからはリハビリセンターに、週一回はリハビリに通い、1年が過ぎる頃、更生訓練施設への入所と職能訓練の生活が一年ほど続き、やがて「みずほ」の傘下である小規模作業所「みかんやま」に通う事になりました。往復2時間のみちのりです。私自身は作業所の食事作り、娘は作業へと別々に分かれお互い楽しい時間を過ごしました。娘はこの事故により、自分の職場では出会えなかった多くの人たちに出会え、人生勉強になったと喜んでいます。

 近隣に身体障害者授産施設がある事を知り、通所し始めてから3年が過ぎました。ここまでは順調に進んできましたが、一般就労へは時間がかかります。もっと地域と密になり、障害者が安心して暮らしていける世の中になってほしいものです。