2006年2月20日、日付が変わろうとする深夜、夫は、脳梗塞に倒れました。救急車で、搬送された急性期病院に、51日間の入院、その後リハビリ専門病院への転院約1ヶ月後の5月14日、一応のリハビリも終わり退院しました。急性期病院では、1ヶ月の点滴、その後ベッドに座り、立ち上がり、車椅子での移動、自力歩行、食事も何とか食べられるようにも、なりました。・・・・でも、何かが変でした?・・・・
身体の回復とは、逆行して行くように奇異な言動、そして、行動を、取り始めました。・・・明らかに、病気前とは変わっていました。まず、私に、対しての、暴言!時々「怖い」と思う事さえあり、とても悲しかったと、いまでも思います。看護士さんの、「病気のせいです」の、言葉に納得も出来ず、反論も出来ず・・・・時間は過ぎていきました。一人が辛いというので、6人の部屋に移りましたが、ますます奇異になりました。1度部屋を出ると、自分の部屋へ戻れない・・・・何回教えても解りません自分の持ち物が、管理出来ない・・・・箸、コップ、など身の回りの、毎日使う自分の物なのに?1度思い込むと、いくら訂正しても、納得しない、注意すると怒り出して手がつけられない・・・・
着替えが、うまく出来ない・・・・とても落ち着きがない・・・・曜日、月日、時間、がわからない・・・・約束した事を忘れてしまう・・・・我慢が出来ない・・・・私は、自分の頭が混乱していました。 一体?何故?悩んでいました。そんな事が続き、看護士さんには注意される事ばかりで、夫もとても悩んでいました。リハビリするも、『勝手に動かない!』が一番です。との言葉には、とても傷つきました。「こんな病気に、なりたくてなったのではないのに、 病気になったら、人間らしく生きてはいけないのか?」
そんな時に、先生に告げられたのが、高次脳機能障害でした。 後になり、精神に異常有!!!精神的な異常もあるとのことで精神科の受診もしました。ますます、夫は落ち込み、そして荒れました。
よく理解出来ないままに、4月12日リハビリ病院へ、転院しました。そこでの色々な検査を重ねる事により、高次脳機能障害=後遺症だと知る事になりました。前の病院での、言動、行動、又、せん妄状態も、その事に原因があった事も理解しました。
本人も、辛くはあったとおもいますが、先生方はじめ、PT、OT、相談員、看護士、そして、自分の娘よりも若い介護士さんのいつも変わらない、励ましの言葉があり、うれしかったと本人が言いました。1番の宝は、全員の方の「私はいつも、松尾さんの味方です!何でも相談、そして言って下さいね!」と救われ、根気よく付き合っていただいて本当に有難く、併せて心のリハビリの大切さを痛感致しました。自宅へ戻る不安はありましたが、「家が1番安心する場所」と退院しました。
自宅へ戻ってからは、本当に大変です。24時間付いていなければならず、それまで、続けていた私自身の会社勤めは、退職する事しか選択肢はありませんでした。見た目にも、身体的にも、ほとんど障害は無いように見えるのですが、障害は確実に残り、先の長い介護になると、ひしひしと感じていました。
残念ながら、高次脳機能障害については、どこへ行ってもまだまだ認知されていないなーと、実感しました。身障者手帳や言語障害が無いと、現在の福祉の現状は私の夫のような症状では恩恵を受ける事が出来ないのです。役所の福祉課の方も、色々と相談にのって下さり、何かよい方法がないかと、アドバイスもしていただきましたが・・・・・・・日にちだけが過ぎ1ヶ月位は不安のまま、このままでいいのか??と自問自答する日々でした。誰に相談すればいいのか悩みましたが、1冊の本に出会い、同じ悩みを持っている人の本当に多い事を、知りました。この障害がほとんど理解されていない事、障害に対する制度が、ほとんど整備されていない事も現実です。障害を持つ家族にはとても不安です。
人は、どの様な状況の中にあっても心を持って生きている事を理解してほしいと思います。夫は、現在59歳です。脳障害友の会「みずほ」との出会いで、名古屋リハビリテーションセンターに通い始めました。リハビリ病院の時と同様に自分を理解してもらっている事の安心感でしょうか、これから先自分がどう生きていけるかを探したいと思っています。まだ始まったばかりでもあり先の事は今のところ全く未知数です。それでも今は目的があり生きています。
リハビリは、機能の回復も大切な事ですが、リハビリを通じて精神的なケア、社会復帰の為のケアであってほしいと、痛切に感じています。自分にもまだ出来る事を今日も求めてリハセンターに通っています。