事故当時9歳だった息子は現在27歳となり、事故に遭って以来18年の歳月が流れました。 脳挫傷の診断を受け、医師には「植物状態か良くなっても必ず後遺症が残るだろう」と宣告されましたが、それは信じることはできませんでした。必ず治してみせるという一心でした。
意識不明が100日以上続き目覚めたとき小さなかすれた声で「お母さん」と言ってくれた。その声を今でも忘れません。もう一度赤ん坊から育てる・・・そんな日々が続きました。歩いて退院することを目標にしてリハビリに励み、事故後5ヶ月で退院することができ、周りからは奇跡だとよく言われました。
でも、退院してからが本当の苦労の始まりでした。小学、中学に向けて、体の機能はどんどん回復していったのですが、記憶力の低下、集中力欠如で到底、勉強の面ではみんなについていけるはずもなく、普通学級か特殊学級か悩みました。幾度と学校に足を運び、本人が一番適した場所を選択してあげることを前提に先生に相談をお願いしました。
幸い本人は感情的にとても穏やかな性格であり、授業にも熱心に聴いてメモをしていたようで、先生からも、「本人が事故に遭ってから頑張っている姿は他の生徒にとても良い影響を与え、みんながいたわりの優しい気持ちになっている」と言われて、そのまま普通学級で中学を終えることができました。良い先生、友達に恵まれたことに感謝しました。
次は高校をどうするか・・・私立、公立でも入れる高校はあると言われましたが、高校に入れたら良いって訳でなく、やはり本人にとって一番良い方向を探して上げる事が必須でした。運よく、軽度の知的障害の高等養護学校が開校の運びとなることを知り、また「生徒1人1人の能力や特性を伸ばし職業自立に必要な知識、技能、態度を身につけさせ、社会の一員として充実した生活できるような人間を育成する」この教育目標を見て、早速入校をお願いに行きました。通学には遠いため寮生活となることは不安でしたが、本人には良い経験になるのではないかと思いました。
ですが、生まれつき知的障害の人と、中途障害の息子とでは、ちょっとした格差があることがわかってきました。 その頃新聞に高次脳機能障害の事を書かれている記事を見てびっくり・・・息子と全く同じ障害ではないか・・・驚き、早速みずほに連絡して会員とさせて頂きました。同じ苦しみを持った人達がみんなで頑張っている・・・私達だけではないことに安心しました。
昨年、事故後17年も経ってからですが、初めて名古屋市総合リハビリテーションセンターで診察を受け機能評価を受けました。日ごろは中々わからない息子の現状を見て、障害の重さをひしひしと感じ取りました。また、レントゲンで受傷した傷が、いまだに黒く、くっきり残っている写真を見て愕然としました。
現在は高校からの就職紹介で障害者雇用の枠で入ることができ、8年が過ぎました。当初の雇用契約とでは全く違ってきたこともあり、このままでいいのか?息子にあった仕事は何か?何ができるのか?と 現在も悩んでおります。またこれから先、10年後、20年後は?と不安はつきません。 幸い、今は地区会活動が盛んになっていて、同じ悩みを共有する人達と知り合え話をする時間ができ、感謝しています。