主人がくも膜下出血で倒れたのは、突然のことでした。元気だったのに、まさかという思いでした。救急車で運ばれすぐICUへと。大手術となり11時間もかかり、術後10日間くらいは危険な状況にあると告げられましたが、私には主人が亡くなるなんて考えられませんでしたから、まわりの人には落ち着いている姿が不思議だったそうです。
その後、10日20日とたつうちに主人はだんだん元気になり、身体的には何の後遺症もなく快復していきました。 でもなんか変なのです。昨日のことは覚えていない、看護師の顔、名前、自分の病室も、そして私のことも友達の奥さんという始末です。発症後からの新しいことがなかなか記憶に残らない。季節・日付もあいまい、入院しているのに病識がないなど、私はこんな後遺症が残るなんてと悩み続けました。これが高次脳機能障害と知りました。
その後、転院してリハビリセンターにたどりつき、訓練を受けるようになりましたが、私はこの後遺症にふりまわされることとなりました。そんな時「みずほ」と出会い、「みかんやま作業所」に入れて頂き、仲間やみずほの方と接する中、主人は少しずつしっかりしてきましたが、高次脳の特徴的症状はあまり改善されず、会社もやめざるを得なくなりました。でも主人は、楽しく作業所へ通いました。でも、私には主人に代わって生活のすべてがのしかかってきました。
働き手が倒れるということは、私の人生がすべて変わってしまうという大変なことでした。時々暴言を吐く主人、融通のきかない、自分がすべて正しいといいはる主人。後遺症とわかっていても、ついけんか口調になってしまい、そんな時は「離婚」という二文字が、頭をかすめたこともありました。
そんな繰り返しの日々を過ごしているうちに慣れてきたのか、少し幼く陽気なとも思える主人に笑えてしまったりして、妻というより母になったような気分ですが、まだまだ先の不安など問題は山積みですが、同じような仲間と出会えたことが、私の救いとなっています。 H19年・6(妻記)