私が交通事故に遭ったのは1999年の8月、高校2年生の夏休みで17歳の誕生日の前日のことでした。3週間意識不明であったそうです。
事故に遭ってすぐの頃には右半身が完全に麻痺をしていたそうですが、若かったこともあってか、今でも受傷前と同じ速度で右半身を動かす事はできませんが(私は受傷前からギターを弾いていたので、ギターを弾くと右手が以前と同じ速度で動かないことがよく分かります)、日常生活に特別な支障が出るほどの「身体症状」は早期に回復した私は2ヶ月と少しで病院を退院しました。
そして高校へと復学をした訳ですが、受傷前と受傷後の私は「異人」でした。それは主に「学力・性格が異なる」と言う意味です。受傷前は学年で中間くらいのテスト順位だったけれど、受傷後の順位は文字通り最下位並でした(受傷後初めてのテストで赤点ではなかったのは、現代国後と英語の2教科だけでした)。性格が受傷前とどう異なるようになったかを言うのは難しいですが、動作が遅い、疲れやすい、退行(幼稚化)などの精神症状が表れました。
その人の性格や学力を生み出すのはその人の脳ですが、意識不明に陥る原因はわざわざ断る必要も無いのかもしれませんが、「脳が傷ついたから」です。性格・学力は脳の活動から生み出されるのだから、脳が傷つけば性格・学力も傷つくと言うのは単純な理屈です。
このような状態になった私は受傷前の友人から、からかわれる対象になったりもしました。そんな事もありましたが何とか高校を卒業した私は、試験時間延長の配慮を受けて大学へ入学しました。
しかし大学生活が順調に進むはずもありませんでした。高校時代に一番辛かったことは「受傷後の私の能力低下を知っている、受傷前の友人からの侮蔑」だったのですが、大学へ入学して顔を合わせる事になる人達は、受傷前の私を知らないのですから、その点についての心配はしていませんでした。実際、大学入学後に他学生からバカにされるということはありませんでした。
ところが問題は高校時代とは別の部分に現れました。それは大学に通っている意味が分からないということでした。小・中・高校時代は学校に通う意味など考えませんでした。何となく通っていただけです。大学に通おうと思った理由だって何となくでした。そのくせ、大学の場合はどうして自分は大学に通っているのだろう。どうしてあんなに一生懸命大学の講義を受けようとしているのだろう…と悩みました。
こんな悩みは消えることなく、自分の精神状態は悪くなる一方で、最終的には大学入学3年目の前期を休学して、現在もお世話になっている病院にある施設へ入所することになりました。
施設を出て以来、大学の「単位取得」については順調に進み、07年3月には卒業できる見込みです。「人間関係」についてはどうなのでしょうか。私には受傷以前の自分の記憶が残っているので、それを考えると現在の人間関係が以前とまるで違うものである事が分かります。
私は軽度の高次脳機能障害者です。軽度=苦しみも少ない。と直感するのが人の常であるとも思います。しかし外傷後神経症は脳損傷の程度と反比例すると言うデータがあります。つまり脳損傷の程度が低い人ほど、その後神経症にかかる確率が高いと言う事ですが、この点について交通事故に関わる病院関係者、保険会社関係者の間で問題になっている事のようです。
受傷以前と比べ現在の人間関係が悪いものである、と言うのではありません。ただしかし、人生の充実度を思うと受傷後の人生の充実度は著しく低いものです。誰だって充実ある人生を送りたいと考えると思います。
そう考えると今の人生の質が悲しいものであるかのように思えなくも無いですが、救いがあることは、このような私を助けてくれる両親、病院関係者、障害の友の会の方達がいる、まだまだ私の人生は長いと言う事です。
今が充実していなくても、いずれまた充実ある人生を送れるようになりたいと言うのが、今の私の一番の願いです。